◇「創価の世紀」の開幕

日顕宗の“御本尊謹刻”への中傷はデタラメ

(「聖教新聞」平成5年9月30日付より抜粋)

秋谷会長 辻参議会議長 細谷副会長 斉藤教学部長 赤沢猛さん 高橋婦人部書記長 谷川青年部長


 高橋 ところで、「院達」では、また御本尊謹刻のことを持ち出しているようですね。

 細谷 “日達上人に無断で模刻するという非法行為を犯した”“日達上人の厳しい御叱責を蒙って、総本山にその模刻本尊を納めた”などと、もっともらしい作り話を並べています。

  事実は、日達上人は明確に了解されていたし、御謹刻した御本尊を本山に納めたのも、宗門側のたっての要請を受け、日達上人を守るために学会が敢えて譲ったことだ。この前の座談会(本紙九月十五日付)で述べた通りです。

 細谷 そもそも日顕は、御本尊謹刻を正信会が騒いでいることに対して、「日達上人違背の大罪人である。“触れるな”といわれたものに触れることは謗法と断じます」と自分で言っていたではないか。

 高橋 全く正信会より何十倍、何百倍も悪いですね。

 秋谷 そう。日顕は、当時の教学部長、総監代務者としてこの件の事情は十分わかっているのです。だから、明らかに嘘をついている。そこで、それを明らかにするために、当時、御本尊の御謹刻に、日蓮正宗御用達の仏師としてかかわった赤沢朝陽社長の赤沢さんに座談会に入ってもらい、当事者として真実を証言してもらいましょう。

 赤沢 はい。赤沢猛です。よろしくお願いします。私どもは、明治四十年に日蓮正宗御用達となって以来、日顕が理不尽にも学会を破門する事態に至るまでの間、宗門の御本尊の御謹刻に関する業務は、一手に引き受けてまいりました。実際に、学会本部の御本尊などを御謹刻したのも私どもですし、その真相もよく知っています。

 高橋 ぜひ、真実を語ってください。

 赤沢 私は立場上、宗門のこと、法主のこと、個々の坊さんのことなど、いろいろなことを知っています。しかし、今までは、私は言わないできました。特に、御本尊に関することは、口外しないできました。

 しかし、御本尊謹刻は、宗門では昔から普通にやっていることです。それを謗法呼ばわりするとは、日顕は全く事実をねじ曲げています。日達上人を無視するやり方にも、とても我慢できません。何よりも、大聖人様に弓を引く日顕は、絶対に許せません。ですから私は、真実を残すために証言させていただきます。

 谷川 よろしくお願いします。御本尊謹刻の経緯の件ですが、当時の日達上人は、どのようにおっしゃっていましたか。

 赤沢 ええ。学会の御本尊謹刻のことは、日達上人は、最初からもうご存じでした。これは日達上人からも、また池田先生からも、私は直接お話を伺っているんです。先生からお話を聞いたのは、昭和四十九年の一月でした。

 細谷 それは、御本尊の謹刻を開始する前ですね。

 赤沢 そうです。前年の四十八年の暮れに、学会本部から、「学会の御本尊を何体か板御本尊にしたいので、そのときはよろしくお願いしたい」という話がありまして、私は、「猊下に一言いっていただければ、私どもも安心してできますが」と答えました。

 それで年が明けた一月に、池田先生にお会いした折、先生のほうから「御本尊のことは、私から猊下に申し上げておいた。猊下は、“大事にするためなんだからいいんだよ”とおっしゃっていた。安心してよろしく頼みます」と言われたんです。

 高橋 明快ですね。池田先生と日達上人の間で、よく話し合われていたのですね。

 秋谷 そうです。昭和四十九年の初頭に、日達上人と池田先生との間で、御本尊謹刻の件で話があったのは、事実なんです。日顕宗は猊下に無許可でやったなどと嘘を言っているが、学会には、猊下に黙ってやらなければならない理由など何一つないわけです。それに、“大事にするためなんだからいいんだよ”との日達上人の指南は、まさしく信心が大切であることを示されたものです。ですから、学会の御謹刻というのは、本来、全く間違いはなかったのです。

 赤沢 もう一つ、日達上人が最初から了解されていたことも、私は直接、確認しています。それは、同じく四十九年の秋ごろでした。仕事のことで、大奥の対面所で日達上人とのお目通りがありました。本来の用件が終わって、猊下はいったんお帰りになろうとしたんですが、思い出したように戻ってこられ、「そういえば、学会本部の御本尊は赤沢で彫ってるんだよね」と聞かれたのです。

 私が「そうです」と答えますと、猊下は「他のもやってるのかい」と言われました。私が「はい。やりました。たしか、池田先生が猊下様に申し上げたと言われておりましたが」と申し上げると、「うん。池田会長から聞いているよ。あと五、六体やらせてもらいたいと言ってたな」と言われて、部屋を出ていかれたんです。

 斉藤 日達上人が、学会本部をはじめ、他の御本尊の謹刻のことも、明確に承知されていたことは明らかですね。

 赤沢 そうです。本部師弟会館の御本尊の御謹刻の依頼を受けて、取り掛かったころですから、私もよく覚えています。

 高橋 日達上人もご存じで、了解されていたことを“謗法”呼ばわりする日顕こそ、先師否定の大謗法じゃないですか。

 秋谷 御謹刻は日達上人の了解を得たうえで始まりましたが、本部師弟会館の学会常住の御本尊のとき、再度、連絡会議にもかけている。四十九年の九月二日です。そのときは、総監代務者の日顕自身が宗門側の責任者として出ていて、日達上人に取り次いだのです。そのときも、はっきりと了解をいただいている。それを、ごまかしているんです、日顕は。

  五十年一月一日に池田先生中心に学会本部で入仏式を行い、当時の聖教新聞にも大きく掲載されました。一月二日に初登山し、お目通りした折にも、先生は日達上人に明確に報告されているし、日達上人自身、その報告があったことを周囲に言われている。

 秋谷 日顕宗は、学会に対する平成三年の解散勧告書では、御本尊謹刻のことを「前代未聞の大謗法」などと言っていたが、謗法でも何でもないことは明らかです。これを解散勧告の理由にしたということは重大な問題だ。これ自体が先師日達上人に対する大反逆だからです。

 斉藤 ところで、日達上人の了解もちゃんとあるのに、なぜ、学会は七体の板御本尊を本山に納めたのか、当事者の赤沢さんは疑問に思われたでしょうね。

 赤沢 そうなんです。先日のこの座談会を拝見しまして、宗門からの要請という事情があったことを、私も初めて知りました。当時は、どうしてこのことが問題にされるのか、なぜ、最終的に奉安殿に納めなければならないのか、さっぱりわかりませんでした。いずれにしても、学会を攻撃するための難癖だろうとは思っていましたが、「一切論議を禁止する」と院達を出したはずの宗門自身が、今回これを持ち出したことに本当に驚き呆れています。

 細谷 この謹刻のことについて、当時の宗門の見方はどうだったのですか。

 赤沢 いや。それもですね、あれは昭和五十八年暮れでしたが、ある寺の入仏式が終わって、私の車に札幌・日正寺の秋山海学さんら老僧が二人乗って来たんです。その時、二人が「赤沢さん、御本尊模刻のことはどういうことなの。あんたのとこでやったの」と聞くものですから、「ええやりました。猊下も知ってるよ、といわれてましたよ」と答えると、「それじゃあ、問題ないんだなー」と納得していました。

  そうですよ。全く問題はなかったと知りながら、日顕の策謀に加わっている坊主はとんでもないね。

 谷川 ところで、大宣寺の菅野慈雲などは、御本尊謹刻のことで五十三年一月の初めに、日達上人から「今、赤沢朝陽の社長が年始のあいさつにきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊にしたと聞いた。何体彫刻したのか、赤沢に行って調べてくるように」と言われて調査したなどと言っていますが。これについては、どうだったのですか。

 赤沢 いや。それも全く違いますね。年始のごあいさつは、そのころ毎年しておりましたから、五十三年も年始にうかがったことは間違いありません。しかし、そんな話は出ませんでした。

 高橋 日達上人は御謹刻のことを当初からご存じだったわけですから、そのときにそのような話が出るはずがありませんよね。

 赤沢 菅野住職が、この問題が騒ぎになってから一度見えたことはありますが、それは御謹刻御本尊のあくまで確認だけで、それ以上のことではありませんでした。

  菅野は前回の宗門問題のとき、山崎正友の進言で作られた宗門海外部の部長に、やはり山崎の後押しでついた男です。やったことといえば、宗門のいうことを聞かなければ「日蓮正宗の信徒団体とは認めがたくなる」などと脅しの「海外部通達」を出し、韓国などの海外信徒組織の檀徒化に狂奔しただけだ。

 細谷 その通達にしても、山崎が書いたシロモノです。結局、海外部長を辞めさせられ、山崎正友の操り人形として策謀に加担しただけの愚かな人間が、今更そんなことを言っても、だれにも信用されませんよ。

 高橋 ところで赤沢さん、宗門の御本尊に関する姿勢はどうだったのですか。

 赤沢 学会と宗門の御本尊に対する姿勢は全然違います。これは、謹刻を依頼された時からそうです。学会の場合は、先生はじめ、本当に信心の真心から行われ、扱われていました。それに対し宗門は、御本尊をまるで“物扱い”なんです。

 谷川 具体的には、どういうことですか。

 赤沢 例えば、大石寺では、御本尊の謹刻をうちに依頼してくるときに、御本尊を書写した和紙を郵便書留で送ってくるんですよ。また、化粧直しのための板御本尊を他の業者に頼んで送りつけてくる住職もいます。こういうことについて、もし、途中で事故があったらどうするのか。私どもでは責任を持てないから他の方法を考えていただきたいと本山まで行って直訴したんです。これは平成二年の七月でした。日顕は「うーん、やらないほうがいいな」と言いながらも、結局、何も変わりませんでした。

 高橋 いや。日顕は、第一回海外出張御授戒の時、シアトル事件の前に、ハワイでトイレに大切な御本尊を忘れてくるくらいですからね(笑い)。

 谷川 昭和五十年でしたか、滋賀県の寺(仏世寺)の坊主が借金に困って、業者と共謀して寺の御本尊を持ち出しておいて、“持っていかれた”と狂言を繕い、本山から金を出させようとした、とんでもない事件があったと聞いています。

 秋谷 そう。当時、同じ布教区で、教学部長としてその坊主を監督すべき立場だったのが日顕(当時、京都・平安寺住職)だった(笑い)。これだって本当は重大問題です。この時も、全部、学会が解決してあげたんです。

 赤沢 あと日顕の御本尊に対する姿勢がおかしいなと思ったことは、実はたくさんあるんです。また、機会があれば、ぜひ、お話させてもらいたい。

 細谷 ぜひ、お願いします。それにしても、日顕はどこまで悪いのか計り知れない。

 高橋 赤沢さんの話で御本尊謹刻のことも、よりハッキリしましたね。

 秋谷 日顕たちが何を言おうと、所詮は、御本尊を“商売道具”としか見ない謗法の輩の猿知恵だ。その悪辣さは、すでに白日のもとになっていますが、後世のためにも、この前代未聞の悪侶の実像を、今後もしっかり語り残しておきましょう。

 

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