昭和五十三年一月十九日、山崎と常に連携を取り合っていた正信会の浜中和道が大石寺内事部を訪れ、山崎から依頼された学会非難の文書を、日達上人に手渡していたことを明らかにした。

 この文書が「ある信者からの手紙」といわれるもので、同日、行われた若手僧侶の集会で読み上げられた。これが、いわば、学会攻撃の作戦指示書とでもいうべき内容のもので、以後、学会攻撃の基本戦略にされていったのは周知の事実。つまり、山崎は表面上は宗門と学会の双方に取り入りつつ、その実、陰にあっては宗門と学会の離間工作を陰険に企てていたわけで、その下書き原稿を、山崎が書いていたこともすでに法廷で明らかにされていた。

 実は、五十三年一月といえば、前年秋からの努力により、宗門と学会の一連の不協和も一応、修復の方向に向かっていた。事実、一月二日には日達上人は、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌を目指し僧俗和合して進むとの「訓諭」も発せられている。

 ところが、山崎は、このような僧俗和合への道をつき崩そうと、この謀略文書によって、若手僧侶に学会攻撃をさせようと策したわけである。 (昭和57年1月17日付の聖教新聞より抜粋)

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この「手紙」は既にいくつかの書籍等で公開されている。

ここでは「謀略僧団 悪業の巣 ――山崎正友と『正信会』」(奥野史郎著 現代史出版会発行)を底本とさせていただいた。

誤字・脱字は、あえてそのままにしてある。

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ある信者からの手紙

 

正宗と創価学会の間で、これまで種々な経緯があったが枝葉末梢の現象にとらわれたり、意図的な外交辞令や演技、カムフラージュに迷わされたり 或は 自分に都合のよい希望的観測に安住し気休めをむさぼっていたら必ず本質を見誤り、対応を誤って学会側ペースにはめられてしまうであろう。

戦後の歴史を通じて 一貫している事は 学会は本山と信者及び本山と社会を切りはなして 互いに情報操作して常に主導権をにぎる事に全力を投入してきたと云える。そこにのみ存在価値があったとすら云える。

即ち信者及び社会には 日蓮大聖人以来の正統を受けつぐ日蓮正宗から広布 全面的委託を受けたと云う宗教的権威をもってのぞみ 全面的委託なるが故に信者及び社会が正宗と直接に交渉を持つことを拒否して常に学会が窓口となる事を強要して来た。

一方 本山に対しては 強圧と懐柔 そして“外護”と云う大義名分、即ち荒れ狂う社会の隔離と云う名目で信者や 社会との直接の交流を極力封じて来た。

こうして、社会には新興宗教に非ざる仏教の正統と名乗って 猊下の信任を旗印に信者に絶対的な権力を確立し、内には布教と信者の教化育成を支配することを左右する力を持った。

池田会長はこの両面に対する支配から生まれる力を背景に政治、社会に対する権力への野望へ乗り出していることである。

ところで、外部や宗門が知ると否とにかかわらず池田会長の側近、及び直系と云われる弟子達の間には、次の二点は 自明の理であり 端的に云うならば、この為にこそ学会首脳部の団結は維持されていると断言出来る。第一点は、池田会長は仏であり、なかんずく末法の御本仏の再誕である、と云うことである。

このことは、種々の点から次第に表面化してきたが、今にはじまったことではなく 例えば 昭和四十五年以前のあかずの門を開く者についての言及とか 御義口伝講義の際の言葉、学会内での扱い等で昔からはっきりしていた。池田会長のやり方の巧妙さは、自分から云わずに、側近に云わせ、そしてそれを云う側近を大いに用いることによって皆にそれを習わせると云う点にある。

福島源次郎や野崎勲はその典型である。

ちなみに学会内では、あらゆることが報告書となって会長のもとに届き会長みずから決裁するシステムになっている。

一寸した頂物の御礼まで、必ず会長直に目を通す。

従ってどんな行為も、会長が知らないで行われると云う事はあり得ない。まして学会にとって一番神経をとがらせている本山や寺院のことは、ことこまかに会長が指示してやらせている。たいていは はじめ青年部や副部長にかみつかせあとで自分が出て おうように許す、と云う芝居の筋書を自分でつくるのである。

従って、会長本仏論は 全くの自作自演である。

とにかく会長を仏と認めていない者は、総務にもならなければ伸一会にも入れない。

第二点は、池田会長 ひいては創価学会の目的が来る二十年の間に天下をとること、即ち政治権力をとって日本を支配することにあると云うことである 学会のすべての行動はこの二点に照らして見るならばすべての意味がとけるのである 即ち本仏日蓮大聖人の再誕である池田会長が日本の最高権力者となることが王仏冥合であり広宣流布なのである。

故に池田会長以上の宗教上の権威は目の上のコブであり邪魔になる、その存在がなければそれにこしたことはないが どうしても存在するとすれば それは出来る限り少なくしたいし(猊下一人にしぼり他の僧侶は同等以下に置く事にあらゆる手数を用いた。又その存在は出来る限り社会や信者から遠ざけたいのである。一方どの様な手数をつくしても公明党の勢力をのばすことが至上命令となるのである。

こうした本質は 必然的に次のような方向性へと向う

第一に宗門に対しては、学会は何ら干渉されない自由 方々を確保するとともに 宗門を学会の思うように押し込めるため 硬軟取り交ぜてありとあらゆる方策を用いる。

出来るなら創価教にしたいが(そういう志向で準備した事もあったが不可能とみて)さもなくば ぎりぎりまで学会教学、学会路線の独自性をつくり、一方宗門(法ヶ講を含む)に対しては、あらゆる手をつくして弱体化、分裂化、封じ込めを計っているのである。一時 会長周辺では“学会の最大の外郭団体は本山だ”と云う云い方が流行した。

要するに学会が主で宗門は従と云う訳である。

しかるに どうしようもないのが御本尊であり相伝にもとずく法主の権威である、これに対抗するため経済力、集団力そして有力な僧侶に対する懐柔と反対する僧侶に対する威迫、等々ありとあらゆる策術を用いて政めている訳である。

第二に学会内で絶対的支配権の確立のため異常な執念をもやすことである。

自らを仏の地位におくことは優秀な人材を集め 又党を始め社会に運動を展開して 動執生疑して来る指導者に対して 末端会員の絶対的支持と云う切り札でもって押え切る為にどうしても必要なことでもある。

宗門の権威でなく 自らの権威を最終的なものとして、それに対する絶対的な帰依を求めることによってのみ 本山と対抗出来る勢力の構築は可能であろう。

池田会長はその源泉を歴代会長の権威に求めた。

即ち牧口、戸田、池田とつづく会長の系図に本山の相伝の形式をだぶらせて会員に浸透させた、故に意識の上では既に創価教の素地は充分に出来上っている。

更に信者からの供養を出来るかぎり独占することによって経済力を一手に掌握し 支配権を確立しようとしている

見せかけの寛容さにかかわらず、池田会長は支配欲、名誉欲、権勢欲の極めて強い人物である。その椎謀術数のすさまじさは見る者をして ひれ伏せさせるか 或は反撥させるかのどちらかである。そしてゆきつくところは池田一族による永久支配を目指していることについて筆者は確たる証拠をもっている。

第三に政権をとるために つまり選挙で票をとるためになりふりかまわず何でもやると云うことである。その為には教義を変え 邪宗と妥協することも当然のことと思っている。

会長始め学会幹部は等しく“日蓮正宗といっても御本尊と南無妙法蓮華経以外に根本教義はない あとは全ったく枝葉である”と日頃断言しているのである。

宗門への気がねさえなければ 神社への寄付はおろか、他宗教との協調もとっくの昔に行われていたのである。

一方では、“一票に功徳”等と云うように しょせん教義は手段にすぎないとの認識が根底にある。社会的にも選挙違反であろうがバレさえしなければ良いとの考えが一般的である。

“三法律”と云うことがその理論的支柱である。

従ってマスコミや社会に対してもその場しのぎの云いのがれや良い事づくめで応対する為、いつも云う事や路線がクルクル変っている。

左から右へ 右から左へとゆれながら要は議席をふやし権力をとることがすべてである。“ああ云えばこう云え”が会長の口ぐせであり、宗門や外部の人にも口からでまかせでハッタリを云って平気である。

こうした本質から見れば 昨年一月以降の学会の宗門に対する態度は決して一時の行きすぎと云うものではなく 用意周到に計画された路線であり逆に九月以降はマスコミや内部造反にゆすぶられて 対宗門対策を一歩後退させたにすぎない事が明らかである。 況が変れば再び攻めてくる事は自明の理であり その時は、はるかに狂暴な復しゅうをともなうことも当然である。

このことは言論問題の四十五年の前と后、妙信講問題の一つのピークであった四十七年から四十九年まで そして妙信講問題の第二のピークであった四十九年から五十年五十一年への経過をみればはっきりしている。

学会はチャンスとみれば かさにかかって宗門を弾圧して風向きが悪いとみれば手の裏をかえしたように頭を下げる そのくり返しの中で次第に目的を達しているのである。学会側のスケジュールでは、あと三年で経済力もととのい、会員も学会独自路線につかせてしまうことが出来墓地や会館等の施設によって固定化出来ると云っており 猊下の在位もその頃までとみて それから チャンスと云っている。

又与党との連合にせよ、国家権力に関 するようになれば 社会からの圧力は弱まり遂に権力をもって 宗門を押えることが出来ると云っている。

一千万世帯をこえれば本尊下府はなくとも良い。国の法律で本尊を国有化することも出来るのではないか、宗教法人法の改正も出来よう。

総監、教学、庶務部長、常泉寺派、その他 要所の僧は弱味をにぎり、あるいは懐柔しつくしているから、だれが次の猊座にのぼっても自分達の意のままである。(これらの人は前回、前々回の危機のとき必死で学会を助けた。

こうした考えが学会の根本路線である以上 宗門側として とるべき道は二つしかないように思われる。

それは、一つは妥協し、あるいは何もしないでいて学会の主導権を許し やがて吸収されることに甘んじることであり 今一つは ここ二、三年の内に決着をつける戦いをすることである。昨年はじめ、池田会長は一昨年の総選挙の勝利を背景に、力で宗門を押える作戦に出た。

その行きつくところは猊下を退座させることに目的はあった。(もう一息だったと残念がっていた)その為の第二段の火ぶたを切ろうとしていた矢先 五月から、民社党のつきあげが始まり八月からマスコミの集中攻撃にさらされ、内部からの造反も出て来た。

そこに 宗門からの反げきがあり 止むを得ず引き下ろうとしているのが現況である。

そのやり方は猊下にだけ こっそり頭を下げ 猊下の権威をとりこにして、それで末寺の僧侶に対抗しようと云うものである。又会員に対しては謝罪したことや自己批判の事実をひたかくしにかくし 猊下のお言葉や講義を新聞等にのせて“猊下はこの通り学会を信頼している 末寺の僧侶は、“猊下の心に反している”と云う論法で切りぬけようとしているのである。

末寺に対しては“会員が行って供養さえすれば文句を云わなくなる。僧侶はしょせん金だ。次元がひくい。学会はそんなことにこだわらず金はくれてやろう。そして高尚にゆこうと云っている。

宗務院の中権はにぎっているから あとは猊下さえまるめこみ、そして末寺は信者が行って供養さえしていれば不満はなくなる”という考え方で対処している。

そして一方では必死になってマスコミを懐柔し 民社、自民等 政治権力に妥協し当面の危機を切り抜けようとしている。今回の事も マスコミがさわいだり国会で取り上げられる様な問題がなければ 本山に頭を下げる必要は全ったくなかったと考えているのである。

この事は即ち外部的な危機が去れば 再びすさまじい報復と弾圧を宗門に加えようとしている事に他ならない。事実、池田会長は九月以来僧侶の言動に歯ぎしりしてくやしがり“必ず仇をとる”とわめきつづけていた。

会長の性格からみて 必ず そうするであろう。

即ち妥協することは、あとで必ず仕かえしをされると云うことである。哀れなことには、総監、教学等は、自分達は学会側だから、その報復の外にあると考えているようだが、会長はじめ学会側の認識は これらの人の保身と立身欲を見抜いており 馬鹿にしつつ利用しているだけである。したがって報復を受ける時は一緒に受けると云う事に気付いていないらしい。

ところで対決すると云っても 今のように表面猊下に頭を下げて来る作戦に出られると方法がむづかしい。

大義名分とスケジュールと方法を充分に練ってかゝらなくてはならない。

 

大義名分としては

 一、過去において何回か謝ったが その後一向に変らず都合がよくなると、又、変な事を始める。今回もはっきりしないものがないままあいまいには納められない。従って次の事をはっきりさせないうちは 追及は大大的につづける。三ヶ月たって変らぬ時は手を切るとの最終通告を出す。

イ、教義上 誤りを犯した事について はっきりと、誤りを認め訂正する文書を□□□にのせるべきである(文書は本山で起草する)

ロ、責任者の処遇をはっきりする(詫び状等

ハ、今後、二度と誤りを犯さないとの誓約書をさせる。

ニ、末寺の僧侶に対する悪口については会員の前で訂正させる(県の会合で僧侶出席の上で)

ホ、選挙と信仰は無関係である旨宗門で声明を出す(支援はするが)

ヘ、信者の団体として絶対的独裁的な形態は望ましくないので選挙方法の民主化を要望する。

ト、寺院及び僧侶、法ヶ講の自由をみとめさせ、干渉しないことを誓約させる。

と云う事がひとまず云える。

勿論、これまでの会長の功積や学会の功を充分認めた上で、だからと云って謗法は許されないと云う論法で波木井、実長を引き合いに出すのも一つの論法である。

学会側としては これは とうていのめないと思うが のめなければ、手を切る方向に外ぼりをうめたこととなり次の戦いが有利となろう。

いづれにせよ、学会は池田会長のあるかぎり本質的には変らない、故に僧侶の心情的抑圧感は永久化されるであろう。これを払うには、今が千載一偶のチャンスであることは、間違いない。

決断の時であると思われる。当面は出来るかぎり多数の僧が全国的に具体的な証拠をあげつゝ 教義上の問題をとりあげて信者に対してうったえ かつ僧侶間では討議をしながら盛り上げて行く事が第一歩である。それは中途半端な妥協の道を見せず思いつめた形でやるべきである。

次に信者を組織化して行くことである。早急に各寺で五十――百人の組織化が望まれる。

その為に理論武装用のパンフレット等が必要である。

宗門と学会の間の永い経緯や最近の出来事 学会の主張の誤り等々を理路整然と調え 猊下の御説法を加えたものが望ましい。

これを僧侶有志と云う名義人で五十万部位つくり各方面に配布する。

宗内では 態度のおかしい僧侶の粛清をするべきである 獅子身中の虫をとりのぞかなくては戦いは出来ない。小分裂も辞せずの決意でのぞむべきである

折をみて マスコミの取材に対してはっきりとしたコメントを出すべきである

納骨堂、墓地等を極めて積極的にすすめるべきである。又寺院の経営に協力的でない総代を追及し罷面する事もこの際必要である。

法ヶ講青年部を集めて激を発し 戦闘に参加させる事も必要である。

本山周辺への根廻しも充分しておく必要がある 若し登山会を中止する等のことがあれば 一般紙に広告を出して全国の信者に本山の外護をうったえることも有効と考えられる。

こうしたことを僧侶の大多数の意見具申にもとずくもの、と云う大義名分の形をつくってあつめるべきである。個人の責任にされたら集中攻げきを受ける 宗会等のつかい方も重要である。

当分の間猊下におかれても学会側の力ぞえになるような言動を差しひかえて頂く事が望ましい。

追伸

学会側の見通しは内藤国夫はもう一回次号で書く(おさえきれない) 国会は二月上旬まで何もなければ切り抜けられる(民社、塚本を抑えるため、会長と民社委員長の会談まで考えている)本山は末寺の僧侶が多少さわいでも 猊下さえ押えればどうと云う事はない。今頭を下げているから大丈夫である。猊下は 足利将軍みたいなものだ。(会長が信長)

内部の造反は石田次男 聖教職員等皆押えた。

公明党も持ち上げているので大丈夫だと云うものです。

 

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