根拠がないので出たくなかった”

ウワサ流した張本人が自ら証言

(57・8・11付)

 月刊ペン裁判が五日、東京地裁で開かれた。この日は、被告人・隈部側の証人として、かつて山崎正友に使われていた稲垣和雄(退転者)が出廷。この稲垣は、窃盗など前科四犯の人物で、昭和三十四年に入信したものの三十八年には脱会し、すぐに立正佼成会に入会。その後、新宗連、佼成会の学会対策委員会等で学会攻撃の手先となって活動したり、創対連の理事長として学会攻撃に狂奔するなど、ウサン臭い経歴の男である。

 その稲垣が、法廷に出てきて何を証言するのかと思えば、全く根拠のないウワサ話をしゃべるばかり。最後には、裁判官から「あなたは、いろいろ話したが、直接、見たり、聞いたりした話はないのか」と尋問され、稲垣自身が、恥ずかしそうに「直接、見たことはない。ある人が聞いたという話を、又聞きしただけで、具体性のない話ばかりで申し訳ない。だから、法廷に出たくなかった」とつい本音を吐露する始末。またしても、巷間、騒がれているスキャンダルがいかに根拠のない事実無根の話であるかを明らかにする結果となった。

 今回、稲垣に証言によって、学会、名誉会長等に関するスキャンダル話そのものが、いかに悪意に基づいて作られていたかが、一段と浮き彫りにされた。

 その典型が、例の昭和四十五年の赤坂芸者の件。検察官が「赤坂の芸者云々といっているが、何か事実を調べたのか」と尋問。

 稲垣は、某代議士から赤坂芸者云々の話を聞いた。そこで「自分では調べることもできないので、そのまま、週刊新潮とアサヒ芸能の記者に、その話を伝えた。確か記事にもなったと思う」と。

 この件について、当時、このデタラメ記事を担当した週刊新潮の戸田記者が、前回の公判廷(七月二十九日)で、被告人側の証人として出廷し「創対連や新宗連関係者から話を聞いて芸者のIさんに取材したが、池田氏との関係はなかった。ただ、取材した内容が掲載されたが、それは編集長の判断だと思う」と証言。はからずも赤坂芸者云々の話は、当時から、全く根拠のない事実無根のウワサ話であったことを明らかにした。そして今回の稲垣の証言により、実は、この週刊誌のデタラメな“ネタ”もとは稲垣であり、彼がくだらないウワサを誇張して吹聴していたことが明白になった。それも、新宗連関係者と口ウラを合わせて学会攻撃を仕掛けた悪質なデマ宣伝だったわけである。

 さらに稲垣は、いわれるところのスキャンダル話は、退転者グループの集まりで出てきた話で、なんら具体性のある話ではなく、ウワサ話のたぐいだったと語り、そうした根拠のない話を、反学会の新宗連関係者やその機関紙「新宗教新聞」の清水某に流していた、と証言。

 結局、昭和四十五年当時、突如として出てきた女性スキャンダルは、こうした退転者グループや反学会の新宗連関係者が、名誉会長を陥れるために根も葉もないウワサ話をねつ造し、週刊誌記者等に意図的に流し、それを、一部の週刊誌記者が事実を確かめず、そのまま掲載したものであることが鮮明になった。

 この点について、裁判官が「おもに、あなたがいろいろな話を週刊誌等に流していたのではないか」と、鋭く問いただした。

 稲垣は「(ウワサを流した)他の人を知らないので、そういうことになります」と、ウワサをねつ造して週刊誌等に流していた張本人であることをあっさり認めたのである。

 全く馬鹿げた話ではないか。

 退転者達が、学会、名誉会長を妬んで、よってたかってねつ造した根拠のないウワサ話のたぐいが「スキャンダルの火種」であった。

 そんなくだらない話を、新宗連の“宗教ゴロ”記者が学会攻撃のデマ宣伝に使ったり、売れればよしとする週刊誌が興味本位に憶測記事を載せたにすぎない。それを昭和四十五年ごろから、スキャンダル話はマスコミ界では公知のことと騒いでも、無責任極まりない論法ではないか。

 否、それだけではない。ウワサを流した人間を少し調べれば、信用できる人物か否かすぐ分かるはずである。

 そういえば月刊ペン事件の被告人・隈部の書いた記事も、稲垣と同様、前科四犯の武井某が流したデマ情報によることは、すでに公判廷で明らかになっている。これをみても、この種の記事が、いかにウサン臭い人物の、いい加減な話で作り上げられたものであるかが、だれの目にも明らかではないか。

 これまで被告人側の証人が十人も出廷したが、当然のこととはいえ、いずれもスキャンダル話の「真実性」を立証できなかった。

 もともと山崎、原島、内藤らは、スキャンダルの「真実性」を立証できないことを知っていながら、「火のない所から煙を立てる」悪質なデタラメ証言によって、一部のマスコミで新たなスキャンダル騒ぎを起こすことが目的で法廷に出てきたのである。

 厳正なる裁判の場を悪用して、多くの人達の基本的人権、プライバシーを侵害することが許されていいのか。見識ある人は、厳しくそれを見ている。

 

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