山崎、悪銭により人生を破滅

暴力団と組み手形乱発など明らかに

(57・7・25付)

 “山崎裁判”は、十三日に開かれた第二十五回公判で、秋谷会長への尋問もすべて終わり、検察側の立証が順調に進んでいる。

 この裁判の経過について、ある雑誌記者と話し合った。

 その記者いわく。「検察側の証人による証言を聞いていると、いままで一部の週刊誌、雑誌に掲載された被告人・山崎のウソが、ことごとく暴かれている感がする。弁護士という社会的に信用される立場にあった山崎の話は、虚実おりまぜて巧妙にできているので、部外者には、学会側の反論をスッキリと理解できない部分が多かった。

 しかし、秋谷会長の証言、反対尋問のやりとりを聞いて、山崎の卑劣な画策、悪質な犯行が浮き彫りにされた」

 十三日の公判廷では、山崎の冷凍食品会社「シーホース」の元社長であった坂本龍三氏が証言。坂本氏は、山崎の運転手だったが、昭和五十一年秋、山崎の命令で「シーホース」の社長に就いた。

 この「シーホース」は、山崎が、冷凍食品会社はもうかるとの口ぐるまにのって、自分の金をつぎこみ、金もうけのために始めた会社であることは、すでに法廷で明らかにされている。

 この日の公判廷において、坂本氏は「社長といっても、どんな営業目的の会社かも知らなかった。ただ、山崎さんに言われるままに動いただけで、翌年三月には社長を交代させられました。その後、また社長になったこともある」と証言。山崎が、個人的な感情で社長をクルクルと交代させるなど、「シーホース」の実質的なオーナーであったことを明らかにした。

 そこで検察官から、約三十通の業務指令書が証拠として坂本氏に示された。坂本氏は「これは、山崎さんの自筆の業務指令書です」と認めた。その内容は、会社のパンフレット作成、手形の決済、商品の買い付けや売買等の指示であった。

 また坂本氏は「シーホース・グループ各社の社長、営業部長等を山崎さんの事務所に呼びつけ、週一回ぐらいの割りで会議を開き、山崎さん自身がハッパをかけていた」と語った。

 こうした証言により、山崎が、自分の意のままに動く人物を社長にすえ、会社の経営方針、営業方針などすべて自分で指示しており、ワンマン経営者であったことが明白になった。

 ところが山崎の放漫経営は、あきれるばかり。毎月、数百万から二千万ぐらいの赤字が雪だるま式に増えていた。

 さらに坂本氏により、詐欺まがいの“社会的犯罪”ともいうべき実態が証言された。

 坂本氏の証言によると昭和五十四年秋ごろ、三億円ほどの負債をかかえ、赤字は増える一方だった。山崎は、暴力団幹部を関連会社の社長にすえ、役に立たない山林等の土地を頭金だけ手形で払って購入。それを担保に、商品を仕入れ、法外に安く現金でたたき売ったり、商品を約束手形で仕入れては、仕入れ値より安くたたき売る(通称、バッタ売り)など、経営はメチャクチャだったことを明らかにした。

 また、暴力団幹部と組んで融通手形を乱発したり、倒産寸前に、増資を行い、さも会社が利益をあげているように装って商品を買い付けるなど、常識では考えられない“詐欺”まがいの驚くべき実態が白日のもとにさらされた。

 それらがすべて、山崎の指示、命令のもとに行われたが、ついに五十五年四月、「シーホース」は、四十数億円の負債を出して倒産。山崎が、苦しまぎれに、学会からの恐かつに至るわけである。

 「悪銭身につかず」――不当な方法によって得た金は、やがて失われるもの――という格言があるが、土地ころがし等で得た“黒い金”のウマ味を覚えた山崎は、毎月、数百万円の金を湯水のように使って放蕩三昧の生活におぼれ、結局、人生の坂道をころげ落ちていったのである。

 

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