「教学上の基本問題」について(6・30)

六、謗法容認

 

 資料

 ただし、悪鬼乱入の寺社に関係するのであるから、それ自体“謗法”であることは否定できない。ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、これを越える善根を積み、帳消しにするのである。その意味で、それが謗法であると自覚できる人ならば、自らの責任において、あえて、これを犯してよいともいえる。

(雪山居士述 大白蓮華49年7月号)

 質問

 日蓮正宗は古来から謗法厳誡であります。信心さえあれば謗法してもよいなどの生やさしいものではありません。聊かの謗法があってもいけない事は曾谷殿御返事に「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」と示される通りです。謗法を容認して正しい広宣流布はありえないのです。

 答え

「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」との御金言のごとく、正宗においては謗法厳禁であります。神社に対する寄付、祭礼の参加等の具体的な活動においても、社会への対応ということより、謗法厳禁という信仰の姿勢から対処していくべきであります。

*この文に関しては大白蓮華49年8月号で誤りを訂正する文を出しました。

 

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