調査のイロハもなく

こっけいな証言

(56・10・11付)

 去る九月十六日、第二回の「月刊ペン事件」の差し戻し公判が行われた。この日は、被告人・隈部の証人としてT(退転者)が証言したが、全く滑稽(こっけい)な内容に終始した。

たとえば、会長就任は昭和三十五年であるのに「昭和三十六年」といったり「昭和三十六年に国立競技場で私の妻が踊った」といったが、これは男子青年部だけの会合だった。また「昭和四十三年に創価大学に行って……」といっているが、創大の開校は昭和四十六年である。このように、その証言はまるで支離滅裂なものであった。

また、証言の根拠を問いつめられると「男のカンで分かった……」などと言い、あげくの果てに「山崎正友から聞いた」とか「週刊誌で知った」とか、傍聴席にいた新聞記者達もあきれて失笑の連続だった。

 裁判長もたまりかねて「直接、あなたが見聞した事実を述べなさい」と注意を促すこと再三。すると途端に「すいません」「すいません」と連発するこの男……。

 そもそも昭和五十四年にも、隈部は、大阪に住む某氏に証言を依頼。某氏が“嘘はつけない”と要請を拒否すると、隈部は十五万円とお菓子を置いて帰った。その後も「お金というなら二、三千万円あげてもいい」と執拗に“裏工作”していたとか。

 ともかく隈部らは、多くの内外の人々から絶大な尊敬をうけている名誉会長の人格を、ねたみ狂い、なんとか泥をかぶせようと、ただただ中傷記事をデッチ上げようと狂奔するばかりである。

 一部には、隈部を名誉毀損で告訴していながら最近の週刊誌を告訴しないことに因縁をつけるむきもあるが、ナンセンスの極みといってよい。

 これらの週刊誌記事は、山崎・原島による陥れの策謀であることは、誰人も知悉(ちしつ)している。山崎らの意図するところは、面白半分に法廷や世間を騒がせて行こうとする“悪趣味”にすぎない。その策謀に乗ることは、愚の中の愚であることはいうまでもない。

 また、週刊誌の中傷記事がねつ造であることは戸籍謄本や血液型で一目瞭然のこと。調査のイロハもない虚構であることは、当局も十分に知っていることだ。

 山崎は、自己の策略が思うようにならなくなり、今は、謗法の隈部と手を組んで、再び、小才を弄しているしぐさにほかならない。

 この隈部は、新興宗教・某教団の最高顧問格というから、その裏の実体や意図もおのずから明瞭といってよい。

 

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