堕ちもおちたり原島
卑劣な心で作り話
(56・11・11付)
堕(お)ちもおちたり原島――月刊ペン事件の公判(九日)に被告人・隈部側の証人として出てきた。三時間余にわたり、妄想にとりつかれたようにデタラメなデッチ上げの証言に終始。あたかも自分が目撃したかのごとく、卑しい作り話を得々としゃべる姿は、人間の皮を着た畜生にも劣る堕落ぶり。
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たとえば原島は「昭和三十二年一月二日、大田の自宅で云々」と。正月二日は、戸田第二代会長当時から総本山に初参詣する伝統になっていることを、彼は知らないのか。つねに戸田第二代会長と行動を共にしてきた名誉会長も、この三十年来、この日は、総本山に参詣していることは周知の事実。
また「四十七年七月ごろ、雪山坊でM子さんを見た」と。だが当時、M子さんは国会議員として活躍中。七月は総本山に参詣していない、とM子さん自身、一笑に付しながら断言する。
さらに原島、「八矢弓子さんも国会議員だった」というに及んでは、あいた口がふさがらない。痴呆症になったのではないかしらん。一事が万事。彼のこんな支離滅裂な話をまともに聞く者は誰もいはしない。
原島は、昭和四十五年、上田副会長(当時・高等部長)から聞いたと称して、目撃事実の全くない下劣なストーリーを作り上げて一方的に話す。言論問題の渦中にあった当時、名誉会長がどれほど心を砕き、病体をおして夜を日に継いで指揮をとっていたか、原島もよく知っているはず。それを故意に隠して卑しい話にすりかえるなど言語道断。“鬼畜の心”という以外にない。
知らぬ間に伝聞の当事者に仕立て上げられた上田副会長は心底から憤りをこめて「こんなデタラメなことを、よくも平気でいえるものだ。真実を知ってもらうために偽証として断固、告発するつもりである」と語った。
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原島の証言は名誉棄損を裁く法廷で、さらに新たな名誉棄損を重ねている。彼にはもはや罪の意識などカケラもなく、名誉棄損であろうが、人権侵害であろうが、ともかく人を傷つけることに狂奔している。嘘であろうが作り話であろうが、一部の俗悪週刊誌が飛びつきそうな煽情的なものでありさえすればよい、悪どいほど競って取り上げるだろうという魂胆なのだ。
これは法廷と一部の俗悪マスコミを利用した、人間の尊厳に対する“悪”の挑戦である。人を守るための法が厳正に執行されるべき裁判の場を、このような悪の手によって汚すことは、断じて許すべきではない。
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