醜い野望の結託

裏で“黒い金”が次々と

(56・11・14付)

 卑しい学会攻撃に狂奔している原島だが、彼は今、檀徒の謗法新聞「継命」に寄生し、毎月二十万円もらっているという。

 原島がまだ聖教にいる一昨年秋、彼がくるというので「継命」編集室では、わざわざ、その用意をしていたという事実も。ところが、彼がなかなかこないので、正信会の山口法興から山崎正友のところへ何回かさいそくがあったということも分かっている。この原島、学会攻撃用の資料を盗み出した時にも山崎から金をもらっているが、実はそれ以前から、定期的に金を受け取っていたことも明らかになっている。

 たとえば、五十四年六月ごろから九月にかけて毎月二十万円前後の金が山崎から原島のもとに届けられていた、という。山崎は「原島が金に困っているから渡してやるんだ」といっていたというから、酒や女のみならず、やすやすと金づけにもされていったわけだ。

 その年の九月、原島が資料を盗み出した時には「当座の小遣いに」ということで五十万円位入った封筒が彼に――。その直後、山崎は原島の隠れ場所を探すよう、自分の部下に指示を下している。さらに九月末には「よく政治家や芸能人などがマスコミの取材をかわすため入院するだろう。そんな病院を探せ。原島を入れるんだ」といって山崎は部下に手配させている。

 原島が急病を理由に目黒のA病院に入院したのが、十月一日。翌日にはすぐに新宿のB病院に移っているが、入院の際、多額の現金や預金通帳とともに、山崎正友の署名のある額面二千万円の個人小切手を所持していたことも分かっているとのことだ。

 そのころ原島は例の“懺悔手記”のもとになる原稿を書き、山崎の事務所へ持参。原島は、この原稿について、どのように加筆訂正し、出版してもかまわない、との一筆を山崎に出している。

 山崎は、それを周りのものに見せて「原島に一千万円払ってあるんだ。どのように原稿を使ってもいいんだ」と、得意満面だったというから、まさに悪魔の哄笑(こうしょう)だ。

 ちょっとあげただけでも、これだけの黒い金の動き。山崎と原島の陰湿なつながりは明白だ。酷い私利、画策をいかにごまかそうとも、賢なる人は誰人も彼らの言を信じはしない。

 

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