暴かれた原島転落の実態
奇行と悪行でみずから墓穴
(57・2・6付)
ペン裁判(一月十九日)では、検察官から、これまで虚言を弄してきた原島の証言そのものの信ぴょう性を弾劾するため、彼の人格、性格についても、具体的な事実を挙げて尋問された。
その結果、これまで原島は“正義の告発者”ぶって学会から退会したかのごとく語っていたが、それはもとよりみせかけだけで、彼の醜い野心と信心の転落がその実態であることが浮き彫りに――。
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検察官ただしていわく。「各地に指導に行った先で、酒を飲んで他人に不愉快な思いや迷惑をかけたことはないか」と。
原島は「信仰上の指導者としてふさわしくない言動が多々あったと思う」と、顔をしかめた。
そこで検察官が、厳正な捜査に基づき具体的に追及。「鳥取県に行って酒を飲み、ある婦人から、いい指輪だから来世に結婚する約束だといって指輪を持ち帰ったのではないか」「栃木県の幹部の家に泊まり、酒を飲んで、婦人に言い寄るなどの迷惑をかけたことはないか」「台東区内の会場で、素っ裸で人の前に出てビールをガブ飲みしたことはないか」等々、原島の酒グセの悪さ、奇行を具体的に指摘。
原島は、表情をこわばらせながら、いずれも「記憶にございません」などと逃げの一手。しかし「(酒グセは)あまりいいほうではない」と、結局は、自分の酒グセの悪さを認めざるを得ない結果に。
さらに検察官から「お酒について、池田氏(名誉会長)から注意を受け、今後、単独で地方に行くなと厳しく戒められたのではないか」、また「酒を飲み歩くことで学会幹部から信頼を失い、後輩に追い抜かれていったのではないか」と、原島が自ら信仰の節度を失っていき、やがて優秀でまじめな後輩にぐんぐん抜かれたために、それを逆うらみしたことをも指摘された。
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また検察官は「昭和五十二年十月、山崎正友と銀座のクラブに飲みに行き、その後、池田氏から二人で飲み歩くのは慎め、と注意を受けたか」と。原島は「ございます」と認めた。
そして検察官が「山崎の家に行って、奥さんが一人でいる時、酔っぱらって上がりこんだことがあるのではないか」と、尋問した。原島は「記憶にありません」と必死に逃げようとしていたが、その実、緊張して頬(ほお)をピクピクさせ、ろうばいした様子がありありだった、と傍聴席のある記者が語っていた。
こうした山崎との関係を前提に尋問は核心に迫っていく。
ついに原島は、昭和五十四年九月、聖教本社から資料を持ち出し、山崎のもとにあずけた、山崎から二十万、また山崎を通してある僧侶から一千万の金を受け取っていた、ことなど次々と認めていった。
山崎に女性関係のことで弱みをにぎられ、酒づけ、金縛りにされ、信心を破壊していったのはすでに周知の事実。最近、出版された原島をモデルにした小説「破滅」のなかでも、その転落ぶりが描かれているのは有名な話。はからずもその一端がペン裁判で鋭く暴かれた一幕ではあった。
原島は今、檀徒の大謗法新聞「継命」で嘱託として勤め、毎月二十万円もらっているという。彼が「継命」でネタをつくり、週刊誌をあおり立てているとは、まことに哀れな存在である。
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