証拠写真に思わずガク然
山崎、デタラメな証言を自ら暴露
(57・3・18付)
一つの嘘をとおすために別の嘘を二十発明せねばならない――とは有名なことわざであるが、月刊ペン裁判での山崎の証言のデタラメぶりは、そのことを典型的に示していた。
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たとえば、山崎は@昭和五十一年三月四日に東海研修所に呼ばれたA池田会長はペンの記事を知り元気がなかったBそのため会長は、会食への出席を急にとりやめた等々と、とくとくとしてしゃべっていた。
いうまでもなく真っ赤な嘘である。検察官から、五十一年の山崎自身の手帳がつきつけられ「この手帳には『六日午前十時東海へ出発』との記載があるが間違いないか」と追及され、山崎は慌てて訂正。東海研修所に行ったのは「六日」であると認めざるをえなかった。
そこで検察官は、当時、本紙カメラマンが撮った十枚の写真を証拠として示した。いずれも、三月六日の東海研修所で行われた牧口園の開園式をはじめとする一連の行事に、当時、池田会長が、北條理事長、秋谷副会長らと元気に出席し、参加者も喜びに沸きかえっている写真ばかり。この中の数枚は本紙にも掲載されたものだが、この写真の中には、山崎が、会長は出なかったと言っている会食会にも、池田会長が厳然と出席し、激励している写真があった。しかも、その中に、山崎の顔も写っていた。
検察官が、その証拠写真を突きつけ「会長と同じテーブルで会食しているのはあなたではないか」と鋭く追及。
山崎は、顔をひきつらせながら「確かに、私です」と認めた。
かくして、ここでも山崎のニセ証言は、自らの手帳と証拠写真でもろくも崩れてしまった。
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見たという話がデタラメなら、聞いたということもインチキばかり。
また山崎は、昭和四十一、二年ごろ、学会内に女性関係の噂が流れ、種々のエピソードがあったと語っていたが、今回の公判で、裁判官、検察官から、その具体的な「エピソードは何か」と聞かれても、結局、何も出せなかった。実は山崎、前回、エピソードはたくさんあるので、この日までにまとめてくるといっていたのだ。それは、原島、山崎の女性関係のエピソードばかりではなかったのか、とは彼らを知る人の失笑である。
一事が万事、いかに山崎や原島が、自分達でうまくデッチ上げの話を作ったように思い込んでいても、検察官の反対尋問、裁判官の尋問によって、嫉妬の仮面が一つ一つはぎとられてしまった。
とともに、問題になっている「月刊ペン」の記事そのものが、いかに根も葉もない悪意にもとづいたデタラメな中傷誹謗記事であったか、ますます彼らの“証言”で明白になった。
これでは隈部側は何のために、彼らを出したのか、とは傍聴者の弁。証人は、このあと、三人組のもう一人の内藤国夫が出廷の予定と聞くが、原島、山崎が嘘を重ねて散ったあと、また、どんなピエロの役を演ずるのであろうか。
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