悪意の噂だけ頼りの内藤国夫
支離滅裂な“証言”に終始
(57・3・30付)
去る二十二日、大阪で「関西青年平和文化祭」が晴れやかに開催された。十万人の青年達の熱こもる演技の数々に、出席した五千五百人の来賓は、絶賛の拍手を送り続け“ここに未来を担う青年を見た”と、感嘆の声を惜しまなかった。
あるマスコミ人は、談たまたま内藤国夫にふれて「なぜ彼は、この学会の真実の姿を見ようとしないのか。風聞や噂(うわさ)だけを意図的に書きたてる姿は、マスコミの常識では到底、考えることのできるものではない。全くあきれはてる」と。更に、素晴らしい学会の歩みを、まともに見ずに、悪意をもって一方的に書く内藤は、すでに言論人として致命的な欠陥を犯している、とも。
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二十六日には、月刊ペン裁判が東京地裁で開かれた。被告人側の証人として出た内藤国夫は、支離滅裂な証言に終始。内藤は、彼自身がこれまで俗悪週刊誌・雑誌に書いてきた“作り話”をぬけぬけとしゃべり、だれそれの子どもが他人の子であるとか、ないとか人権侵害もはなはなだしい虚言を弄していた。
それについて弁護人が「女性問題の記事を書く際に、何か事実確認でもしたのか」と質問。
ところが内藤は「本来なら事実について確認するべきであろうが、この点に関して、私は当事者を取材したり、確認はしていない」と自ら認め、推測と伝聞による事実無根の話であることを暴露してしまった。
そして内藤は、女性問題について、ある情報提供者から聞かされたので間違いないと思った、というおよそジャーナリストとしては信じられない言をはき、全く根拠のない作り話ばかりを一方的に書いていたことを自ら明らかにした。
こともあろうに、神聖な法廷で、他人のプライバシーや基本的人権の侵害にかかわる重大なことについて、なんら事実確認もせず、根拠のない話だけを頼りにデタラメな話をするに至っては、言語道断。ジャーナリストとしてよりも以前に人間として、その人権感覚のない常軌を逸した言動は断じて許されまい。
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先の山崎裁判(二月九日)でも、内藤は、中傷記事の情報提供者が山崎正友であると認めていたように、彼の情報源は、山崎、原島、正信会悪侶、退転者達であることは明らか。学会、名誉会長を陥れようとする黒い意図をもった徒輩の“手作り話”だけを鵜のみにし、関係者に確認もせず、話のウラもとらずに、一方的に書いたり、しゃべったりしていたことは周知の事実。事実無根のスキャンダルを平気で書いて、関係者の人権を侵害する行為は、まさに言論の暴力以外のなにものでもない。だから、マスコミ関係者から、ジャーナリスト失格と宣告されるのも当然である。
この内藤、自ら書いたり、しゃべったりしてきたことが、いっさい真っ赤なウソであることが暴かれたとき、当事者やその関係者にどう責任をとるのか、厳しく見守らねばなるまい。
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