平気でウソを書く内藤

ジャーナリスト失格を自ら暴露

(57・4・15付)

 月刊ペン裁判(九日)では、検察官の尋問によって、内藤国夫がこれまで書いてきた学会、名誉会長等に対する誹謗・中傷記事は、なにひとつ事実を確認せず、関係者本人への取材もしていない、全くのデタラメな記事であったことが次々と暴かれた。

 たとえば、内藤は、某雑誌に、昨年夏、ある婦人のことについて“軽井沢で逢瀬楽しむ云云”などと、例のごとくウソ八百の記事を書いていた。

 これに対し、検察官が「あなたは、この件について、具体的な内容を調べたのか」と尋問。

 内藤は「詳しくは聞いていない。調べるといっても、その話を聞いたことが調べたこと。いちいち、ほんとかウソか、確認していたら書けませんから」と。

 さらに検察官が「軽井沢というが、それはどこを指しているのか」と尋問すれば、内藤は「どこかは分からない。長野との県境と聞いた記憶がある」と答える始末。

 重ねて検察官は「あなたは、聞いた内容をそのまま書くのか。なぜ軽井沢に行ったのか、本人に理由を聞くなど取材しないのか」と鋭く追及。

 内藤は「本人に聞いていない。直接、確かめるのは、はばかれる」と、口ごもって答えた。

 まったく、いい加減なジャーナリストもいたものだ。実際、調べてみれば、昨年八月初旬、長野研修道場で研修会が開かれ、数多くの参加者がいたことは、すぐ明らかになり、聞いたことが、悪質なデッチ上げの情報であることはすぐ分かるではないか。

 次に、例のいわゆる“正本堂のレリーフ”の件。これも、内藤は昨年十一月、猊下に師敵対した悪侶のニセ情報を知ってか知らずか一方的に鵜のみにして、正本堂の大前机の彫刻に関し、信仰と芸術を冒涜(ぼうとく)する中傷記事を俗悪週刊誌に書いていた。

 これについて検察官が「事実を調査したのか」と尋問すると、内藤は「現地調査はしていない」という。

 検察官は「制作者の小金丸幾久氏に、制作の意図など直接、取材していないのか」と尋問。

 内藤はぶ然とした表情で「その必要を認めていない。今もそうだ」とただ虚勢をはるばかり。

 そこで検察官は、本紙五十六年十一月二十八日付三面に掲載された小金丸氏の手記を示し、大前机の彫刻は、日達上人から直々の御指南を賜って制作していたこと、正本堂内の仏具等については、すべて日達上人自ら指示され、総本山の手で進められていたこと、などを知っているのか、と問いただした。

 これに対し内藤は「そんなものは、ウソっぱちにきまっているんだ」と、驚くべき“証言”。では、具体的にどこがウソなのかについて、なにも反論できなかった。

 彼自身が「宗教をまったく勉強していない」と告白しているように、内藤は全くの宗教オンチ。事実をねじ曲げて、荘厳な正本堂に傷をつけ、日達上人のお心を踏みにじる正信会の連中の悪意に満ちた情報を、なんら確認、取材もせず、そのまま一方的に書いていたことが明らかになり、この“正本堂レリーフ”についても、なんらの根拠のない話であることが明確になった。

 一事が万事、内藤が書いたり、しゃべったりしていることは、根拠のないデッチ上げの作り話ばかりである。

 検察官から再三、スキャンダル記事を書く取材態度を尋問されると、内藤は「事実確認はしていない。本人に直接、取材はしない。その勇気もなく、必要性も認めない。数回、聞いたら真実だと受けとめて書いている」と繰り返すばかり。

 この裁判の証言だけでも、いかに内藤が「ジャーナリストのモラル、基本」を逸脱しているかが明白である。まさに、ジャーナリスト失格を、ご丁寧に自ら出廷し、自ら公に暴露した一幕だった。

 「新聞倫理綱領」に「報道の原則は事件の真相を正確忠実に伝えることである」と記されているが、毎日新聞の“花形記者”といわれた内藤が知らないはずがない。

 「新聞倫理綱領を持ち出すまでもなく……とおりいっぺんの活字が無遠慮に介入することは、人間の尊厳にかかわることだ」(「新聞之新聞」岩見隆夫氏)と、同じジャーナリストの立場の人からも内藤を厳しく指弾する声が相次いでいる。

 社会の公器たるマスコミ界にあって、正確を期すはずのジャーナリストに、こんな“欠陥人間”がいたのか、と思うとあいた口がふさがらない。人道的にみても、内藤のデタラメぶりは、断じて許されない。

 

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