スキャンダル騒ぎに終止符
“三人組”のお粗末なデッチ上げ崩壊
(57・4・18付)
月刊ペン裁判において、原島、山崎、内藤の“三人組”が枕を並べて討ち死にしたことにより、この二年近く続いた異常なスキャンダル騒ぎも、事実上、終止符が打たれることになった。
もともと事実無根のスキャンダルであったことは言うまでもないわけだが、彼ら三人組は、これまで彼らが密談してデッチ上げた作り話を一部の俗悪週刊誌、雑誌等で喧伝(けんでん)し、また一方では、月刊ペン裁判の場を悪用して、本件の事実立証と関係あるかのように装い、その実、全くデタラメ証言を繰り返し、一連のスキャンダル騒ぎを増幅、拡大してきたのである。
事実、月刊ペン裁判は、この三人の合作ともいうべき“証言”を除くと、あまりにこっけいで話にならない虚言ばかりで、ますます被告人・隈部の有罪は明らかになってきている。
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実は、この騒ぎの発端は、いまから二年前の昭和五十五年五月十八日、都内のシャブシャブ料理屋での山崎と内藤との密談であった。
山崎恐かつ事件裁判での内藤証言等でも明らかにされていたが、この日、内藤は、山崎らが流した宗会選挙に関する怪情報を書いた「現代」七月号の原稿を山崎に見せた。その際、山崎は“マジック事件の幼女は、名誉会長の子供”という全くデタラメな作り話を内藤に吹き込んだのである。
愚かにも内藤は、事実確認も、裏付け取材もせず、魔にとりつかれたように、この山崎の作り話をそのまま鵜のみにして、原稿を書き加えたのであった。
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希代の謀略のプロ・山崎は、再び学会から金銭を脅し取ろうと策謀を企て、この内藤の初校ゲラを使って恐かつの舞台装置をつくろうとしたのである。
さらに山崎は、内藤を通じ「現代」編集部からもらった初校ゲラを俗悪週刊誌に流して、この一連のスキャンダル騒ぎを巻き起こそうと画策したわけである。
“火のないところに煙はたたない”ということわざがあるが、彼らの場合は、この逆で、まさに火のない所にマッチをすって、火をたきつけたのが山崎であり、その火種に油を注いで大きくしたのが内藤、週刊誌という構図であった。
かくして、火付け役・山崎のデタラメな作り話をそのまま書いた内藤のスキャンダル記事が「現代」七月号に掲載されると、ほぼ同時に、一部の週刊誌等でも一斉に、そのデッチ
上げに飛びついたわけである。
それからは“煙が出ているのだから火が燃えていないわけはない”というスリ替えのもと、週刊誌の記者達は、われ先にとばかり、山崎、内藤、ついで原島と接触を図り、彼ら三人組をマスコミの“寵児”に仕立て上げて、一連のスキャンダル記事を異常なほどに書きたててきたというのが、ことの真相であった。
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だが、月刊ペン裁判で、彼ら三人組が書いたり、しゃべったりしてきたことが、すべてウソであることが法廷で明らかになり、スキャンダルの根拠がいっさい彼らのねつ造であることが明確になる結果となった。
それにしても、この騒ぎ、酒乱で幼児性の原島はともかく、一度は弁護士を肩書にもったものや、“花形記者”とチヤホヤされたジャーナリストが仕組んだ騒ぎにしては、余りにもお粗末な品性と知性の産物だったとは巷の声。
とともに、この二年間、何かといえばスキャンダル、スキャンダルと社会に悪質なニセ情報の“公害”をまきちらし、その間、幾多の人々の尊い人権を土足で踏みにじってきた彼ら三人組の悪行と、これに商業主義という隠れミノのもと、便乗してきた一部の俗悪週刊誌等の社会的責任は、極めて大きい。
今後、二度と、こうしたえん罪と人権侵害が起こらないためにも、その悪行を厳しく問いつめなければならない。
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