誰からも信用されない山崎、原島、内藤の存在
(57・6・6付)
最近、山崎正友と内藤国夫が、某誌の記者らしき人物と都内の料理屋で密談を交わしているのを、見た人達がいる。なかでも内藤にいたっては飲み過ぎなのか、体が悪いのか、腹をおさえて山崎に寄りかかり、他をはばからない醜態を演じていた、とその人達は語っている。
内藤にしろ、山崎にしろ、原島にしても、誰からも信用されなくなってしまっている。すべての人達があきれ果て、もはや、彼らの謀略の構図もみな知っているに違いない。それは、山崎と原島が、作り話をデッチ上げ、その話を、内藤やアンチ学会の週刊誌がうのみにしたまま、利害のために書いたり、売ったりしているだけのことである。
ともかく山崎の手口にかかった連中は、皆といってよいほど、だまされたあげく、みじめな末路となっている。正信会しかり、檀徒しかり、あとはおして知るべしである。誰からも見向きもされなくなったため、ただ自分達の存在が消えるのをおそれ、策に策を重ねながらの日々であることは、白日のもとにさらされている。
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四日、東京地裁で開かれた月刊ペン裁判では、前回に引き続いて検察側の証人である松島淑(きよし)氏が証言し、学会、名誉会長等に対するスキャンダルが全くの事実無根であることを一段と明らかにした。
昨年十月、月刊ペン裁判の公判廷において、被告人側の証人である、小沢、飯野(いずれも退転者)が、昭和二十九年秋、大宮地区の拠点だった松島家に名誉会長が来て、三畳の部屋で云々と、デッチ上げの作り話をぬけぬけとしゃべっていた。
一部の週刊誌・雑誌では、なんら事実確認、取材もせず、一方的にこの作り話を掲載し、スキャンダル、スキャンダルといって世間を騒がせてきたのである。
すでに検察官の反対尋問、裁判官の尋問によって、被告人側証人のウソが次々と突き崩されていったが、前回に続いて今回の検察側の反証によって、被告人側証人の証言それ自体が、いかにデタラメなものであったか具体的な事実、証拠により、明瞭に証明されたわけである。
この日は、被告人、弁護人側が、さまざまな角度から松島証言を崩そうと反対尋問を試みたが、当然のごとく、全く成功せず、かえって「二十九年秋、三畳間が存在しなかった」等という松島証言の信ぴょう性が高められる結果となった。
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また、この日、検察官からは最後に、こうしたマスコミ等による、いわゆる“スキャンダル”の被害を受けたことについてどう思っているか、と松島氏に尋問があった。
松島氏は、憤激にたえない感情の高まりを抑えつつ、心情を切々と語った。
――今、世間では、いわれなき衝動殺人などといわれているが、今回の“ペン事件”は、我々にとっては、通り魔に襲われたようなものである。
根拠のあることなら耳を傾けもしようが、全てデタラメなことばかりである。被告人が、いい加減な情報をもって書き上げた悪質な記事がもとで、どれだけ多くの人が迷惑をこうむっていることか。
法廷の場での争いも利用され、それをまた、一部のマスコミが偏頗(へんぱ)な一方的な報道をする。それらに対しては、心底からの憤りを感じざるをえない。
私などは、ある程度、年もいき、そうした中傷の仕組みも分かるけれども、それに巻き込まれた、全く無関係の子供たちもいることを考えると胸が痛んでならない。
それを、当時から、組織の鼻つまみものであったいい加減な女性の発言を一方的に取り上げて、まったくの迷惑をこうむった人達のことを考えるとき、被告人らの卑劣さは断じて許されない――
松島証人のこうしたペンの暴力を弾劾する切々たる訴えに、法廷内はシーンと静まりかえり、悪質、無節操な一部マスコミの社会に及ぼす悪影響の大きさ、市民生活を破壊する恐ろしさを改めて実感させられる一コマだった。
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