識者、週刊誌の商業主義を笑う
原島のウソ証言、全部ばれる
(57・6・27付)
この一年間、裁判担当の記者として多くの人の意見を聞いた。客観的な意見も聞いた。
ある雑誌編集者と会い、一部の週刊誌、雑誌の異常なまでの学会批判キャンペーンについて話し合った。
その編集者いわく。
「とにかく売れればいい、という商業主義に陥っている。真偽のほどは関係ない。山崎は元顧問弁護士だし、原島も元教学部長だったんだから、記事内容についての責任は、彼らにあるという言い分なのだ。
学会は組織も大きいし、社会に影響力もある。媒介が大きいので売れれば都合がいい、という身勝手な論法なんだ」
また「原島をどう思うか」と聞いてみた。
その編集者は「以前に、原島と会ったことがあるが、身は小さいくせに、態度が大きく、横へいな男だと感じた。酒グセも悪く、醜態をさらすので、一度、会えば、もう二度と話したくない鼻つまみものだ」と語っていた。
ある大学教授いわく。
「原島や山崎など相手にするな。世間では誰も信用していない。火のないところに煙を立てて、大騒ぎしているのにすぎない。
学会の真の姿を知っているものからみれば、彼らの言動は、茶番であり、卑しい魂胆がみえみえではないか」
◇
月刊ペン裁判は、先月末から検察側の反証に移り、公判廷が開かれるたびに原島、山崎、内藤らの証言がいかにデタラメな作り話であったか、明瞭に証明されている。
十八日、二十五日に開かれた公判では、検察側の証人である上田副会長が証言し、原島と山崎の合作による卑劣な作り話を完膚なきまで突き崩した。
◇
たとえば、原島の証言で、一番重要な部分として「昭和四十五年二月上旬の午後、池田会長に遺言集のようなものを見せてもらった時、部屋のすみに置かれたユカタに赤いものがついていた。その直後、上田さんから女性関係の話を聞いた云々」という証言がある。
この原島の証言が全くの事実無根の作り話であることはいうまでもないが、それが証明されると、原島自身の証言そのものの信ぴょう性が完全に失墜してしまう。上田副会長との対話を軸に作られたその他のスキャンダル話も、その根拠を失い、全てデタラメであることが白日のもとにさらされるわけである。
◇
原島のウソ証言を暴く典型的な検察側の反証は、「二月上旬、箱根で云々」についてである。
まず検察官が「池田氏の部屋で留言録を見せてもらったのはいつのことか」と、日時を確定する尋問から始めた。
上田副会長は「昭和四十五年二月十一日の深夜、正確には十二日午前一時半ごろです」と答えた。
次いで検察官から、その日時を確定できる根拠をたずねられ、上田副会長は、まず、二月上旬には池田会長は総本山と東京にいて、箱根そのものに行っていないことを証言。そして「留言録を見せていただいたのが二月十一日であるのは、この日が戸田第二代会長の生誕記念日であり、はっきり記憶している。当時、私が使用していたメモにも『十一日深夜、留言録を見せていただく』とはっきり書いてある。また、同席した桐村氏のメモにも、その旨記載されている」と証言した。
そこで、検察官が、当時の上田メモ、桐村メモを証拠として提示し、上田副会長も「このメモにある通りです」と答えた。
続けて、検察官が「原島氏は、その日の午後、ユカタに赤いもの云々といっており、その後、屋外で、上田氏から女性関係の話を聞いた、と言っているがどうか」と尋問。
上田副会長は、語気強く「全くのデタラメです。というのも、第一、原島氏は、十一日昼には箱根研修所にはおりません。東京・日大講堂で開かれた男子部総会に出席しているからです。そして、そこで池田会長のメッセージを読み上げているのです」と、原島証言の根本的な矛盾を指摘。原島もそのことを自覚しているからこそ、「十一日」ということになると困るため、一生懸命「上旬」といってごまかしているのだ。
さらに上田副会長は「大体、屋外で話したなどといっていますが、二月の箱根は、零下の寒さ、まして深夜です。わざわざ屋外で話すわけがありません。
私達は、池田会長から大事なものを見せていただき、三人とも深く感慨にふけり、余り会話も交わさなかったほどです。そんな厳粛な雰囲気のなかで女性問題を話すなど全く考えられないことです」と、鋭く反証していった。
◇
この上田証言、歴然たる証拠によって、原島のいうところの「二月上旬、箱根で云々」という話が全くのデッチ上げであり、デタラメであったことが証明された。
ウソつきの天才・原島が、名誉会長を陥れようとした作り話の作戦は、全部、崩れ去った。
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