真実の前に崩れゆく奸計の数々

(56・10・18付)

 永年の間、極悪非道とも言うべき暴言をもって学会員をいじめ抜いた悪侶達のグループ“正信会”。そこから飛び出したT僧がこのたび「覚醒運動の興亡」という本を出版。ここには彼らグループの陰険な正体が見事に暴露されている。

 内容は「歪んだ覚醒運動の行方」「流民化する檀徒の叫び」「大御本尊否定の言辞」等々、厳しく実態を告発。たとえば「山崎の週刊誌でのあいまいな暴露だけが根拠としたら、はずかしい限りである」(取意)と。

 また「総本山は魔のすみか。登山したいという者は謗法同然」と悪侶も檀徒もいっている。

 さらに離脱した檀徒は「正信会の僧侶はおかしい。自分達の事しか考えていない」とも。

 彼らの機関紙「継命」の元編集長であった羽柴某の言がおもしろい。「継命」を飛び出したこの男は「継命編集室の実態は、信心の世界とは思われない、伏魔殿のような謀略、策謀、権力闘争がドス黒く渦巻き、醜悪な支配欲と独善的な名聞名利、そして一切の批判拒否に明け暮れる密室社会そのもの」と断言している。

 それとは知らぬ「継命」に踊らされている一部マスコミ、檀徒達こそ目を覚ましてもらいたい。

 刑事被告人・山崎正友の恐かつ事件の公判が十四日、開かれた。検察側の証人である広野輝夫氏が、山崎の宮本邸盗聴事件の陰謀を明らかにした。その一部を紹介したい。

 広野氏は証言のなかで、山崎の指示により、昭和四十五年五月から七月にかけて、日本共産党・宮本書記長宅(当時)の電話盗聴を行った、と語った。

 この盗聴事件、学会首脳には他言するなと念をおしたうえで、山崎の独断で行われたことが、広野証言で明らかになった。

 広野証人は、盗聴の計画を山崎から明かされたとき「本部の指示なのですか」と反問。すると山崎は「お前は本部の指示でなければできないのか。そんなことで仕事ができるか」と、明らかに山崎の独自の判断で実行することを明言した。

 また広野証言によると、昭和四十五年五月三日の第三十三回本部総会で、学会として共産党への基本的な態度を明確にした。学会では、共産党の情報など全く必要としていなかったので、当時「それでも盗聴する必要はあるのか」と確認。山崎は「学会首脳の考えは甘い。必ず共産党の情報は必要になる」と、山崎自身の独自の判断で行うことを重ねて明言していた。

 「月刊ペン事件」の裁判が十二日、開かれた。この「月刊ペン」のデッチ上げ記事の情報源は、卑しげな“たかり屋”という札つきの男。今回登場した六十過ぎのO女(退転者)は、地元では「怨嫉製造機」とか「デッチ上げ居士」ときらわれものだった。“虚言癖”で有名なこの証人は、のっけから、自らの品性を反映した卑しい作り話に終始していた。

 この世にも不思議な“才女”は、裁判所をあの手この手で言いくるめようとして、その見事さは、ブラックジャーナリスト顔負け。そんな、荒唐無稽なねつ造のストーリーを裁判所は鋭く見抜くことであろう。

 その裏には、奸智にたけた一連の策士がいることは、誰人も感ずるところだ。まさしく偽証罪もまぬかれない証言であった。

 

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