世間を惑わしてきた真相が日ごとに明らか

(56・10・21付)

 刑事被告人・山崎正友の恐かつ事件の公判(十四日)で明らかになった、山崎の悪質な謀略の数々を紹介したい。

 広野証言によると、山崎は、昭和五十三年三月ごろから、一部の俗悪週刊誌に情報を流し、学会批判記事を書かせようと画策。弁護士として預かっていた社長会記録と称されているものなどを週刊誌編集部に届けたり、記者にねつ造した出来事を吹き込んでいた。

 “社長会記録”は、ある人の主観により創作、脚色した個人的なもの。記録文書でも公式のものでもないことは、すでに法廷で明らかにされている。

 当時、山崎は“学会を守るために、何とか宗門との関係を調停する”と買って出ていた。その実、学会と宗門の離間工作をたくらみ、陰では種々の策略をめぐらして学会攻撃をしていたのである。

 たとえば、広野証言によると、山崎は「今後の作戦」「現下の情勢」等の謀略文書を次々と書いていた。これが、現在に至るまで正信会グループの“作戦”となっていることは明らか。

 さらに証言によると、昭和五十四年九月、山崎は顧問弁護士であるのに“正信会”の核である山口法興らと連係をとり、檀徒達を使って、学会を相手どった特別財務返還訴訟を起こした。すでに山崎の自筆による訴状の下書き原稿も提出され、裁判所に証拠として採用されている。

 また同年十月の衆院選の時、彼は、いわゆる“謗法選挙ビラ”を書き、正信会に手渡していた事実も判明。このビラは、学会を誹謗・中傷するとともに、支援活動を妨害する悪質なものだ。彼は、このビラを大量に檀徒を使ってばらまいた。

 山崎の自筆によるビラ原稿も裁判所に証拠として提出されている。

 山崎らが、自らの黒き野望を遂げんとたくらみ、数々おこなってきた謀略は広野証言で動かぬものとなった。

 山崎ら“魔の連合軍”のねらいは、宗門と学会を自らの手中にせんとして、その最も手強き不動のカベたる名誉会長を追い落とすことにあったのだ。

 ここを砕く以外に思うがままに牛耳る術(すべ)がないので名誉会長にありとあらゆる多くのぬれぎぬ、事実無根の烙印をおそうとし、落とそうと狂いかかってきたことは明瞭なことであった。

 この悪逆にして非道の奸計(かんけい)は、公判が進むにつれ、一段とあぶり出されていくであろう。

 

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