被告人・山崎の悪あがき

裁判の証拠書類まで改ざん

(56・12・6付)

 刑事被告人・山崎正友は、裏でありとあらゆる奸計を企て、一部の悪質週刊誌、雑誌等を利用して、世間を欺き人々をだまし続けている。はからずも、山崎の悪らつな手口の一端が、去る三十日に開かれた山崎事件の裁判でも明らかに。

 山崎が昭和四十九年から五十年にかけて、自分のダミー会社・山下商事を使い、土地ころがしをし黒い金をつかんだのは、今や周知の事実。ところが彼は、この悪行の露見をおそれて、スリカエに躍起になっている。

 最近も、ある集会において、山崎はその土地の件で「四十九年三月の段階から墓地についての折衝があった。それは、墓地の候補地についての報告書が北條理事長に出されていたことでわかる」と。

 つまり、山崎は、四十九年三月の時点で、墓地(富士桜自然墓地公園をさす)の候補地について北條理事長に報告しているので、自分の独断で土地ころがしをしたのではないといいたいらしい。

 ところが、これは真っ赤な嘘。まず、四十九年三月当時の理事長は和泉理事長であり、北條理事長が誕生したのは同年十月のこと。また、そもそも彼のいう墓地用地の話が出たのは五十年八月末のことで、四十九年三月の段階では全くなかった。

 加えて、この報告書は八尋弁護士が山崎の電話を受けて作成したもの。八尋弁護士の証言によると、これは五十年九月末から十月に書かれたものである。また、内容からも明らか。山崎は、この報告書の日付をさかのぼらせて人々を欺き、自分のやった土地ころがしに学会が関係しているようにデッチ上げたのだ。

 ところが、この報告書、去る三十日に開かれた山崎事件の裁判で、山崎側から八尋弁護士への反対尋問の“有力な”証拠書類として、裁判所に提出された。

 その報告書は原本ではなくコピーだけ。原本には日付が入っていたはずなのに、提出されたコピーではそれが消され、日付の欄だけ空白にされており、欄外に明らかに後から押したと分かるゴム印で「49・3・1」と。この証拠書類について、検事から「ゴム印の数字が日付を表しているのか」と鋭く釈明を求められると、山崎の弁護人は「日付かどうか定かでない」と弁明せざるをえない始末。結局、逆に自分達の首を絞めかねないとみてか、あるいは、さすがに裁判所までだましとおせないとみてか、山崎に弁護人は、とうとうこの報告書を使用できず、はからずも、山崎のスリカエの手口が、この日の裁判で明らかになった。

 これは、被告人・山崎が、土地ころがしの露見をおそれて、自分の都合のいいように“報告書”を改ざんしたことを逆に証明するもの。彼は、法廷においてまで、陰険な策略を使い、裁判所をだまそうとする悪あがきぶり。

 こんな調子で、これまでも社会に向かってウソ八百を並べてきた山崎だが、そんなことがいつまでも通用するわけがない。

 

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