内藤原稿を恐かつの材料に

山崎、巧妙にマスコミを悪用

(57・1・31付)

 “山崎事件”の第十七回公判が二十七日、開かれた。この日は、検察側の証人として月刊「現代」の元編集部次長の杉本暁也氏が証言。

 実は、昭和五十五年七月号の「現代」で、内藤国夫が学会誹謗の記事を執筆。その記事のゲラを利用して、山崎が五億円恐かつに及んだのは周知の事実。当時、その「現代」の編集部次長だったのが杉本氏であり、同証人は、山崎に“内藤記事”の初校ゲラを手渡すに至った経緯について明らかにしていった。

 山崎は、五十五年五月ごろ、数回にわたって内藤の取材に応じ、名誉会長及び学会の内部事情に関する虚実織りまぜた情報を流し、内藤に記事を書かせていた。

 当時、山崎は「シーホース」倒産の後始末で金策に苦しんでおり、マスコミを利用して、学会から再度、金を恐かつしようと画策。

 杉本証言によると「現代」七月号に掲載するため、五月二十日、都内のホテルに内藤の原稿を取りに行くと、内藤と一緒に山崎がいた。杉本氏は、内藤の原稿を一読したが、スキャンダル部分の表現があまりに品性を欠くため、内藤にその部分の訂正、削除を要求した。だが、原稿の締め切りが迫っているため、そのままゲラにして、初校刷りで訂正することになった。

 そして、三日後の二十三日午後八時ごろ、同編集部を訪れた山崎に、できあがったばかりの初校ゲラを手渡していたことを明らかにした。

 山崎は、入手した初校ゲラを、学会幹部にちらつかせるとともに、陰では、この初校ゲラを週刊新潮等に流していた。

 その裏で、山崎は、ある知人に「とうとう内藤が暴走した。もう止まらない。どうしても払わなければならない十億円を学会からゆすり取る。後ろに手が回る覚悟でやる」などと、うそぶいていた。このことは、すでに法廷でも明らかに。

 一方「現代」編集部では、スキャンダル部分について、内藤に数回にわたって書き直しを要求。最終的に、内藤に一部、訂正・削除してもらい、掲載した、という。

 杉本証言によると、内藤記事で削除した部分について「週刊新潮」六月十二日号(六月五日発売)でスッパ抜かれていることに、編集メンバーが気づき、非常に驚き、大騒ぎになっていた。

 それに関して、杉本証人は「初校ゲラを渡した部外者は山崎一人だけ。そのほか編集部や印刷工場から新潮に流れることは考えられない」と語った。

 山崎は、内藤に虚偽の情報を流して「現代」に書かせ、その陰で「週刊新潮」にも学会批判記事を掲載させるように画策。

 一方で山崎は「俺がネタを提供したわけではない。俺が本気でミサイルを撃ったらあんなものではない」などと、学会首脳を脅迫し、五億円を要求していたのである。

 今回の公判で、山崎のマスコミを利用した陰険な画策の手口が、一層、明らかになった。

 

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