山崎のウソ証言、また発覚

“盗聴裁判”で決定的な証拠写真

(57・6・20付)

 十六日、東京地裁で開かれた宮本邸盗聴事件の裁判で、被告・山崎正友への反対尋問が行われた。山崎は、主尋問でもっともらしい話を作り上げたり、週刊誌等でさかんに宣伝してきたが、この日の反対尋問で、事実をつきつけられていくと、彼のデタラメ証言が次々と崩されていった。

 この宮本邸盗聴事件については、すでに昨年十月、山崎裁判で、この盗聴事件が、(山崎が)学会首脳には他言するなと念を押したうえで、山崎自身の独断で行われていたことが、広野証言で明らかになっていた。

 しかし、山崎は、ナンとか学会首脳と盗聴事件を関連づけようと躍起になり、原島と謀議して次々とデッチ上げの話を作り、法廷で証言したり、週刊誌等に書いてきた。だが、所詮、作った話は必ずボロがでる。その一端を紹介してみると――

 山崎は、これまで、昭和四十五年七月三十日、総本山での学生部の夏季講習会に参加。同日午後、池田会長(当時)を囲み、雪山坊で講義担当者会が行われた。その席で、池田会長が山崎を見つけるや顔色を変えて「(盗聴が発覚したあとの大事な時なのだから)早く東京に帰って後始末をしっかりやっていろ」と大きな声で叱りつけた。山崎は、すぐ、その席を立ち、下山報告書を書いて、夕刻には下山した、と証言。また、雑誌、単行本「盗聴教団」等に、得意気にこのことを書き、あたかも事件に、学会、池田会長が関わっているかのごとく喧伝してきた。

 だが、この日の法廷で、北條前会長の弁護人である松井弁護士が、山崎に対して鋭い反対尋問を行った。

 まず松井弁護士は、「七月三十日の講義担当者会で、池田会長に叱られ、すぐ席を立ったのか。何時ごろ下山したのか」と尋問。

 山崎は「すぐ一階に下り、輸送班の部屋で下山報告書を書いた。そして二時間後ぐらいに、下山した」と答えた。

 そこで松井弁護士が、同年の本紙七月三十一日付一面に掲載された講義担当者会(三十日)の写真、ならびに、その時の別カットの写真を山崎に突きつけた。その写真は、池田会長を囲み、講義担当者が談笑しているもの、あるいは真剣に講義に聴き入っているもの等であり、いずれも山崎がはっきり写っている。

 松井弁護士がこの証拠写真を示し「いずれもあなたの写っている写真だが、談笑したり、講義を受けていたり、到底、叱られ、すぐ席を立ったとは考えられないがどうか」と追及。

 山崎は「確かに、ここに写っているのは自分だが、担当者会の最初にカメラマンが撮ったものだろう」と、何とかごまかそうとした。

 それでは、ということで、松井弁護士は、この日夜、総坊で行われた坊別御書講義で山崎が講義を担当している写真、さらに八月二日に大講堂で開かれた学生部幹部会で、山崎が壇上の最前列に座っている写真を示した。

 同弁護士が「この写真に写っているのはあなたですね」と尋問。

 山崎は、一瞬、たじろぎ「よく似ているが、私でないかもしれない」と、のらりくらり逃げようとした。

 同弁護士は「頭の形からみて間違いないでしょう。現在のあなたはカツラをつけているが、当時のあなたは頭が薄かったんだから」と念を押した。山崎も「よく似ていますね」と、しぶしぶ認めざるをえなくなった。

 そこで同弁護士は「あなたは七月三十日、下山したというのは間違いで、実際は八月三日まで総本山での夏季講習会にいたのでしょう」と、とどめを刺した。

 山崎は、しばし絶句。「確かに三十日に下山したはずだが……」と、逃げるのに精いっぱい。

 歴然たる証拠写真を突きつけられ、山崎のウソが、またもや、ものの見事に暴かれた一幕だった。

 また、山崎は、昭和四十五年四月十九日、箱根研修所で本部総会の原稿を検討。その翌朝十時ごろ、池田会長に呼ばれ、山崎が、共産党に対する情報活動の必要性を強調した、などと、なんとか盗聴事件と池田会長を関連づけようとデタラメな話をつくってきた。

 しかしこのねつ造については、先の月刊ペン裁判でも、歴然たる証拠書類によって「山崎が四月十九日夜、帰京して麻雀をやり、二十日朝には、箱根研修所にいなかった」ことが明白となっている。

 この日の法廷でも、松井弁護士から、山崎自身のかつての法律事務所に保管されていた「昭和四十五年の領収書綴」などの証拠を突きつけられ、山崎も言い逃れの一手。だが、麻雀旅館の請求書など動かぬ証拠に、山崎が“箱根に泊まっていた”などとウソの証言をしていたことが、誰の目にも明らかになった。

 かくして、山崎と原島の合作による作り話で、名誉会長を陥れようとした楽屋裏が改めて白日のもとにさらされた。

 一事が万事、山崎は、原島と謀議をこらして、もっともらしい話を作り上げ、それを本に書いたり、週刊誌に売り込んで、世間をあざむく状況づくりをしてきた。ところが厳正な裁判の場で、一つ一つの事実からつめられていくと、誰が見てもウソと分かる苦しまぎれの言い逃れに終始し、それが通らぬと思うと、今まで証言したり、書いたりしてきたことを次々と変更していく。この山崎の“悪の手口”は、今回の反対尋問で一段と明らかになった。

 希代の謀略プロ・山崎に近づく人は、彼のウソ八百にまんまとだまされていく。いままで山崎の話を信じこんでいたジャーナリスト達も、この日の法廷でのあまりのいい加減な証言に、さすがにあいた口がふさがらない様子だった。

 

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