猊下に敵対し、大御本尊を否定する

久保川法章の邪義

(56・10・4付)

 「総本山へ行く必要はない。俺の寺へ来い」と暴言を吐いた、あさましき僧侶がいる。謗法邪信の徒「正信会」の連中が会長と仰ぐ久保川法章である。

 猊下に敵対する久保川の邪説、謗法ぶり、また、すでに擯斥に処せられ僧籍を失っていることは周知の事実。これまでも、正宗の根本法義たる唯受一人金口嫡々の血脈相承を真っ向から否定。あやしげな“血脈二管論”等の邪義を唱えて、あたかも自分達に血脈があるかのように取り繕う始末。

 さらに久保川は「戒壇の大御本尊と雖も、即久遠元初の自受用報身如来であると断定するわけにはいかない」(「仏生」)と、戒壇の大御本尊までも否定している。この「仏法違背の大罪人」であれば“あんなところ(総本山)へ行くな”とうそぶくのも当然のこと。これ、まさに誹謗・堕獄の邪義に堕した“道門増上慢”の姿そのものか。

 この久保川、最近では「正信会」と称する狂信グループの連中からも“やっかいもの”扱いに。先月二十四日、宗務院の処分に対する裁判で、正信会の中心人物の一人・荻原昭謙(僧籍はく奪)はその証言の中で、久保川を“会長”となかなか認めなかったという。

 さらに荻原は、久保川の唱える邪説、異流義についても「難しくて、よく分かりません」と逃げの一手。所詮、邪義同士はいがみ合うもの。

 御法主日顕上人は「心中に一点、仏法の大綱に背く誹謗心あるゆえに、先師の書を素直に拝することができず、自らの叛逆の心に基づいての曲会(きょくえ)するためであります」(本紙十月一日付三面)と明快にその本質を破折されている。

 それにしても、久保川ほどの変節漢、御都合主義者もめずらしい。この悪僧は「歴代の御法主に依って一点の濁りもなく、正法を受け継いできた」(昭和五十年一月)といっていた。ところが今年一月には「血脈は法主だけが継承したという考えは間違い」と全く逆のことを書いている。

 自語相違もはなはだしい。自分の都合、立場によって、仏法の根本法義をもてあそぶ“食法餓鬼”に堕落した。

 それもこれも刑事被告人・山崎正友や原島嵩の天才的ウソつきの口車に振り回されて“俺こそ次の法主だ”と思い上がったことが原因とか。

 だいたい、彼ら正信会僧侶が、血脈のことを言い始めたきっかけは、山崎が週刊誌に書いた手記に基づくというのであるから、その薄っぺらな人間性、狂った信心が分かろうというものである。

 

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